東大を目指しているご家庭必見!「東大なんか入らなきゃよかった」本レビュー

教育

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今回ご紹介する書籍はこちら。

なかなか刺激的なタイトルですよね。

「釣り」のタイトルかと思い、本書を読み進めていったら本当に「東大に入らなきゃよかった」という後悔の念がつらつらと描かれているので驚きました。

日本の最高学府に入ってハッピー!かと思いきやそうではない事実を垣間見ることが出来ました。

それでは気になる中身について、

早速いってみましょう。

著者紹介

著者は池田渓(いけだ・けい)氏。

1982年生まれ。東京大学農学部卒業後、東京大学院農学生命科学研究科修士課程修了、同博士課程中退。

出版社勤務を経て2014年よりフリーランスの書籍ライター、という方です。

「東大に入らなきゃよかった」と思ってしまうなんて、この方に何があったのでしょうか。

東大のイメージ

皆様は東大に対してどういうイメージを持っていますか?

本書でも、まずそこに触れられています。

世間で語られる東大のイメージの多くはポジティブなものだ。

「東大は日本の『知』の最高峰」

「東大生は頭がいい」

「コンプレックスとは無縁の最強の学歴」

「みんな一流企業に就職する」etc.

そして、それらのイメージによって、総じて一般家庭では「東大に入れば人生の幸福が約束される」と思われている。(中略)

東大は人生の幸福を決して約束などしてくれない。

むしろ逆に、東大に入ったある種の人間は、東大に入ったがゆえにつらい人生を送るはめになる。個人的な感覚では、「人生がつらくなってしまった人の方が多いのではないか?」とさえ思う。

極端な話、東大に入ってしまったがために若くして死ぬことすらある。僕たち東大に通っていた人間は、そのことをよく知っている。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.5-7

本書でも触れている通り、世間一般が作り出している東大に対するイメージはポジティブなものですよね。

私も日本の最高学府で勉強が出来るなんて羨ましい、とすら思いますし、私が愛読している「プレジデントファミリー」にも”成功体験として”良く東大生が出てきます。

そのポジティブなイメージとは逆に「東大に入ってしまったがために若くして死ぬ」とは穏やかではありません。

ここまでが序章で、ここから本題に入っていきます。

あなたの知らない東大

東大生はそこら中にいる

東大生なんてそこら中にいるんだからそれほど希少ではない、という話から本題が始まります。

総務省統計局の発表によれば、2019年の新成人は125万人。かりにこれを1学年の総数とすれば、同年の東京大学の合格者数が3084人であるから、単純に割り算をすると約405人に1人である。(中略)

他の大学との比較でいえば、慶應義塾大学が約6500人、早稲田大学が約9500人、京都大学が約3000人、北海道大学が約2500人である。明治大学の約7500人や中央大学の約6300人といったマンモス校に比べるべくもないが、国公立大学としては最大級、私立を含めてもそこそこの上位に入る規模である。

毎年一定数が生まれる他の分野のエリートと比較してみても、甲子園の出場者が春夏合わせて1458人、司法試験の合格者数が約1500人、医師国家試験の合格者が約9000人である。もちろん狭き門にはちがいないが、東大生がそれほど希少、特殊な集団でないことはお分かりいただけるのではないか。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.21-22

東大に入るなんてすごい!と言われてしまうかもしれないですが、それほどでもないですよということですね。

確かに東大卒は同じ会社にたくさんいるけど、甲子園出場者はまだ会ったことがありません。

東大入試の倍率はしょせん3倍

意外かもしれないが、東大入試で問われるのは、「標準的な教科書に書いてあるレベルの知識」である。たいていの教科書には章末にその章で学んだ知識を確認するための練習問題が載っているが、あのレベルのものを想像してもらえばいい。(中略)

東大入試は、文科一類、文科二類、文科三類、理科一類、理科二類、理科三類という6つの類に分かれている。そして、全体で6割ちょっと得点できれば、理科三類以外の科類なら合格できてしまうのである。(中略)

東大に合格するために必要なのは「膨大な標準問題を正確に処理する」というスキルであり、それは教科書が普通に理解できる高校生であれば、東大受験に特化した訓練(進学校や予備校の東大コースなどで行われているのがそれだ)によって身につけることができる。(中略)

東大に入るのはそれほど難しいことではない。東大入試の倍率は、しょせん3倍ほどである。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.23-28

ここでも「いやいや、東大なんてすごくないですよ」という話をしています。

いかに東大の世間一般に言われているイメージを崩すか、に腐心しているように思えます。

そうでないと、これから続く「東大に入らなきゃよかった」の理由に繋がらないからでしょう。

3種類の東大生①天才型②秀才型③要領型

東大生はピンキリである、と著者は言います。

東大生というものは実にピンキリだ。

これは「東大生といっても優秀な人材ばかりではない」などという至極当たり前の話ではなく、事実、彼らの能力の分散はほかの大学と比べると相当に大きい。

今の日本ほど偏差値による大学の序列が社会に浸透し、かつそれが固定化していると、進学にあたってその序列を無視した判断をする学生はほとんどいない。

ただでさえ狭い国土のなかでメジャーな大学のほとんどが東京に集中していて、各大学に強い特色があるわけでもなければ学費に差があるわけでもない環境では、早慶(早稲田大学、慶応義塾大学)に入れる学生があえてMARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)を志望する理由は乏しいし、MARCHに受かる学生が日東駒専(日本大学、東洋大学、駒澤大学、専修大学)に入学する理由もまたない。

持てる能力で可能なかぎりいい大学を目指すのが学生としては合理的な選択になるわけだが、「いい大学」とは、身も蓋もない話、「偏差値が高い大学」である。多くの受験生にとってはほかに明確な判断基準がないのだから仕方がない。

ところがその偏差値ヒエラルキーの頂点に位置する東大の場合、海外に出るというのでもないかぎり「さらに上」という選択肢がない。東大生には「もっといい大学に行けたのに」ということがないのだ。

別の見方をすれば、合格ラインギリギリのものから東大生の平均レベルをはるかに超える天才じみた連中までもが、いっしょくたに「東大生」というカテゴリーに押し込まれているのである。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.29-30

東大の特徴としてあらゆる能力のものがいっしょくたにされている、というのがあるのですね。

これは確かに他の大学にはないですね。

そのなかで、東大生は大きく分けて3つに分類されるそうです。

①天才型⇒地頭が良く、なんでも完璧にこなしてしまう。育ちも良く、人格的にも優れている。

②秀才型⇒真面目で勉強熱心。頭が固くて融通が利かないと言われる。

③要領型⇒東大入試をテクニックでクリア。効率を重視し、手抜きを覚えた人たち。

この3タイプがいっしょくたにいるわけですから東大生の学生生活は大変だな、と感じました。

「あなたの知らない東大」のコマはここまでです。

世間一般のポジティブなイメージからかけ離れた部分を知ることが出来ました。

次からはいよいよ「東大に入らなきゃよかった」という理由が明らかにされます。

東大入ってもラクじゃない

東大に入学してもバラ色の学生生活とは限りません。

入ってからの熾烈なつぶし合い

多くの大学が学部や学科別に合格者を決めるのに対して、東大では3年生で専門課程に進学する際にはじめて学部と学科が決まる。

これが有名な「進学振り分け(通称・進振り)」だ。(中略)

進振りでは、進学先の定員の枠内で、2年生前期までの成績の平均点の高い順に内定していく。当然、人気のある学部・学科は合格最低点が高くなり、逆に医学部看護学科のように、人気がなく、赤点さえ回避できていれば内定できる「底割れ」学科もある。(中略)

これは「ようやく受験戦争を勝ち抜いたと思ったら、息をつく暇もなく次の競い合いがはじまる」ということである。しかも、その競争は東大入試よりもずっと激しいものとなる。なぜなら、今回の相手はその東大入試を勝ち抜いてきた勉強を得意とする連中だからだ。そしてもちろん、競争に敗れれば希望の学部・学科には進学できない。(中略)

他大であれば受験生同士の競争に勝てば獣医学部に入れる。しかし東大では、東大に合格したもの同士の競争を勝ち抜かなければ、獣医師になる夢は絶たれてしまうのだ。

長い目で見たとき、果たして東大に入ることが夢をかなえるために最善の道であるかは分からない。

毎年、進振りによって子どものころからずっと抱いていた夢を絶たれる学生は大勢いる。東大に入ったがゆえに、望んだ形で社会に出られないということが起きるのだ。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.44-46

徐々に「東大なんか入らなきゃよかった」の理由がわかってきましたね。

偏差値ヒエラルキーの頂点に位置するが故、天才と競って勝ち抜かなければ夢を絶たれるとは。

サッカーワールドカップでいったら予選リーグでブラジル、ベルギー、アルゼンチンと同居するようなものですね。(現実的にはポッド別なのでありえませんが、東大ではそういう意思入れはないから起こり得るということですね)。

出典:最新FIFA世界ランキング | 男子サッカー・日本代表 | DAZN News 日本

相手が全部優勝候補とは、まったく気が抜けません。毎日が決勝戦。消化試合は一つもなし。

夢を叶えるために一生懸命勉強して入った東大で夢が絶たれるなんて思ってもみなかったでしょう。

そして東大格差は能力だけではありません。

ちがう世界に生きている人たち

東大が発表している2017年の学生生活実態調査では、東大生の家庭の平均年収は918万円。全体の20.8パーセントで1050万円を超えている。同じ年の日本人の平均年収が432万円なので、東大生には金持ちの家の子が多いことは明らかだ。単純に、家庭が裕福であれば、子どもはより豊かな学びの環境で勉強に励めるからだろう。

ただ、これはあくまで平均値の話だから、東大生には金持ちの子どももいるが、そうでない子どももいる。要は、東大生間の経済格差だ。(中略)

「自分は学費と生活費を稼ぐためにバイト漬けの日々を送っているところを、まわりは親からの仕送りでなんのちゅうちょもなく、海外旅行、語学留学、ゼミ旅行なんかに行けるんだよね。ゼミ旅行には俺も誘われたんだけど、旅費が払えないから断るしかなかった。まぁ、やっぱり惨めだったよ。同級生たちは卒業論文を書くための実地調査にも頻繁に行っていたけど、俺はバイトに出なくちゃならなくてとても行けなかった。東大の図書館で文献をあさればいいテーマを選んで、それで卒論は書いたけどさ」

世の中のすべてが金ではないが、世の中の非常に多くのことが金で解決するのは事実である。勉強をするための道具も、研究論文を書くために必要なデータも、金を使えばよりいいものを楽に手に入れることができる。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.55-59

東大生の親が金持ちなのは有名な話ですよね。

ご家庭の経済格差が東大にまで持ち込まれ、子どもが巻き込まれるのは可哀そうな話です。

学生本人がそれを何とかしようとバイトに明け暮れた結果、学生の本分である学業に支障が出るようであれば本末転倒ですね。

これが並の大学であればバイトに明け暮れても問題ないかもしれませんが、「進振り」がある東大ではかなり厳しいかもしれません。

そんな格差を感じながら東大生は生きているということですね。

その想いが報われるのは他大学に対して無双出来るであろう就職活動の時でしょうか?

しかし就職活動でも東大ならでは、があるようです。

「東大までの人」の就職活動

大学の就職課の指導のあり方などにより多少の誤差はあるが、一般的に大学のランクと学生の就職活動の質は驚くほどに一致するものなのだそうだ。

それは単に筆記試験の点数が高いであるとか学生時代に取得している資格が多いといったことだけでなく、単純な行動量の多さや無難な服装・髪型、面接でのソツのない受け答えといった面でも、「学歴はやはり正直」というのがいまだに採用担当者たちの共通認識であるとのことだった。

ところが、われらが東大生に関しては、各企業の採用担当者たちが口をそろえる奇妙な現象があるという。(中略)

「エントリーの数は少ないし、行動量も少ない。小手先の訓練で伸ばせるSPIを伸ばす努力もしない。面接でも熱意がないし、最低限の業界研究もしてこない。ちょっと突っ込んだ話をするとまるでFランク(底辺)大学で遊びほうけていた学生のようにトンチンカンな応答に終始して話がまったくかみ合わない。『東大までの人』の就職活動は、こんな調子なんですよ」(中略)

「東大までの人たちは、社会に興味がないんです。正確に言えば、興味がないわけではないんですが、社会で成功したいという欲求は人一倍強いのに、その過程をまったくイメージできていないんです。(中略)願望だけは強いのですが、それをかなえるためにはどんな仕事に就いて、どういうふうに成功するかという具体的なビジョンがまったくもって貧困なんです。」(中略)

「これまでどおり一生懸命勉強していれば、誰かが評価してくれると思っているんでしょう。甘えですよ。」(中略)

近年、大学卒業時点でもっとも社会人として即戦力に近い実力を備えており、出世頭を務めるのは、東大でも早慶でもなく、明治大学出身で飲食店アルバイトかインターンの経験のある学生だ。(中略)

業種にもよるのだろうが、ただ頭がいいだけの人間よりも、変なプライドもなくコミュニケーション能力にすぐれた人材の方が企業では役に立つということなのだろう。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.70-73

勉強しかしてこなかったから社会に興味がない、だから就職活動もうまくいかない。

確かに進振りがあって、毎日が決勝戦で、東大内で勝ち抜かなければ夢破れる、となれば一生懸命勉強するのも頷けます。

そして夢破れた人は新しい夢を見つけられずに東大生活を送り、いざ就職活動となったらトンチンカンな話に終始する。

もちろん全てがそうではないと思いますが、満足な学生生活を送れなかった者が「社会に夢を抱く」のは難しいということは何となくわかります。

この本のタイトルは何だったか覚えていますか?

「東大なんか入らなきゃよかった」でしたね。

ここまででも十分東大の暗部をみてきましたが、これからは実例が出てきます。

東大に入ったがために人生を狂わされた人たちをみていきましょう。

ある意味属人的な話も多くあるため、ダイジェスト版でお届けします。

東大うつ

一浪して東大法学部に入った加瀬さんは「苦労して東大に入ったのに、また勉強なんてしたくない」と考え、公務員予備校に通って国家公務員や弁護士になる「王道」を早々に諦めました。

そして世間的に体裁が取れ、東大卒であれば誰でも入れる邦銀メガバンクに入行します。

しかし営業の現場に配属され、コミュニケーション能力が乏しい加瀬さんは数字が取れず「東大卒なのに」と皆の前で罵倒されてしまいます。

さらには慶応義塾大学卒からは学歴からくるいじめがあり、うつ病を発症してしまいます。

東大に入ったがために燃え尽き、社会に興味がなく、体裁だけで銀行に入ってしまった末路といえます。

元銀行員の私からしたら、確かに銀行の仕事は大変です。

特に融資は「返済懸念の無い企業に貸し付け、利息を付けて返済してもらう」が大前提となるため、必然的に「お金に困っていない企業」に無理やりお金を貸し付けるという仕事になります。

新規設備導入等のしっかりとした名目があれば良いのですが、そんなのは稀なので基本的にはお願いベースとなります。

企業にとってはお金に困っていないのに借金させて利息を付けて返済しろ、なんて無茶苦茶ですよね。

それでも銀行はお金を貸さなければ仕事になりません。

銀行はこういう仕事です。

ロジカルシンキングなんて必要ありません。

いかに社長や財務担当者の懐に入り込み、「君に言われたら仕方ない」と言わせるかです。

そのため、かなり高いコミュニケーション能力が求められます。

しかも2、3年くらいで異動になってしまうため、結果を出すのは短期間の勝負です。

銀行は何となく入るような会社ではないですが、東大というだけで優遇され、就職活動をパスした結果、痛い目を見たという事例でした。

東大ハード

こちらは東大卒の王道であるキャリア官僚の話。

地頭が良く、仕事も出来るため、必然的に仕事が回ってきてしまい月200時間もの残業をしているとのこと。

時給に換算すると1800円。

小さいころからなまじ勉強ができたから、東大なんかに入ってしまったから、官僚養成校の東大ではそうするのが自然だろうと国Ⅰを受けてしまったから、人生がこんな悲惨なルートにつながってしまったわけですから。(中略)

学生のころの私は、官僚の仕事は大変だけど相応にやりがいもあるだろう—なんて甘いことを考えていました。しかし、現実は…やりがいを感じる余裕なんてとてもないですね」

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.142

この言葉に嘘、偽りはないと思います。

頭が良いため、東大の王道に行った結果、激務で後悔しているという事例でした。

東大いじめ

東大卒はやはり色眼鏡で見られます。

東大卒の受け入れに免疫がない職場ならなおさらです。

吉岡さんはご家庭の事情で東大文学部から地方公務員になりました。

東大から地方公務員になるのは「落ちこぼれ」とされるくらい珍しいことのようです。

その市役所では「東大卒ならできるでしょ」と仕事を教えてもらえず、丸投げされるいじめを受けたそうです。

それまで高学歴の人間がいなかった職場に東大卒という「異物」が一つ混入するだけで、組織全体の人間関係がギスギスすることもあるのだ。

出典:東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれない不都合な話 p.157

東大ブランドが裏目に出てしまった事例といえます。

今回のまとめ

「東大なんか入らなきゃよかった」

というタイトルを見たとき、皆様はどう思いましたか?

そうは言っても、日本の最高学府。

幸せな人生を歩めるんじゃないの?

と思った方も多かったかもしれません。

しかしここに書かれていたことは生々しい現実です。

学歴信仰の厚い日本ならではの現象とも言えます。

「何となく東大」を目指しているご家庭にとっては考えさせられる書籍ではないでしょうか。

コロナ禍で大学には通わずリモートで勉強する学生が増えました。

社会もリモートワークが浸透し、その会社に通う必要性も低下しました。

大学や企業という「箱」に縛られることなく、自分自身の手で食べていくというスキルが求められる時代となりました。

「良い大学に入り、大企業に入れば安心」といった

今までの学歴信仰、大企業信仰は過去のものになっています。

現代の子どもが社会に出る時にはその傾向はより強くなるものと思います。

そういう現実を踏まえて、子どもにはより良い教育を施したいですね。

学校では教えてくれない社会教育について書いた記事もありますのでご参考になれば幸いです。

ここまでご覧いただきありがとうございました!

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