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落合陽一氏をご存知でしょうか。
メディアにも良く出ているのでご存知の方も多いかと思います。
一言で言えば「天才」ですよね。
肩書はこちら。
1987年東京都生まれ。
筑波大学情報学群情報メディア創成学類を卒業し、東京大学大学院学際情報学府で博士号を取得(学際情報学府初の早期修了者)。
現在、筑波大学図書館情報メディア系准教授/デジタルネイチャー開発研究センター・センター長。
ベンチャー企業や一般社団法人の代表を務めるほか、政府有識者会議の委員等も歴任。
メディアアーティストとして個展も多数開催し、EUのSTARTS Prizeやメディアアート賞のPrix Arts Electronicaなど、研究から芸術に至るさまざまな分野において国内外で受賞多数。
日本テレビ系「news zero」やNews Picksのライブ動画番組「WEEKLY OCHIAI」、NHK Eテレ「ズームバック×オチアイ」など、メディアでの発信も行う。
著書に『魔法の世紀』『デジタルネイチャー』『2030年の世界地図帳』などがある。
出典:半歩先を読む思考法 巻末
大学で准教授として研究に携わる傍ら、ベンチャー企業や一般社団法人の代表、政府有識者会議の委員、メディアアーティスト、メディアの論客としても活躍。
様々な顔を持ち、それぞれの分野で活躍する「天才」です。
その多才さから現代のレオナルド・ダ・ヴィンチとも呼ばれています。
そんな落合陽一氏の著書を今回は取り上げます。
新しい年ですから、壮大にいこうという趣旨です。
それでは早速いってみましょう。
今回ご紹介する本
今回ご紹介する本はこちらです。
もちろん、全て読みました。
なぜこのようなことを言うかと言うと、一言で「難しい本」だと思ったからです。
さすが天才。
何が「難しい本」なのかというと「思考の範囲」が私と違いました。
これが半歩先を読む思考法なのだろうと理解しました。
この記事では一部をご紹介しますので、興味を持っていただけましたら本書を是非ご購入下さい。
はじめに
本書はこの「はじめに」に要約されていると思います。
以下引用します。
手触りのある未来が好きだ。
五感に接続されているように感じることのできる「ちょっと先の時間」のことを考えるのが心地良い。
自分の身体性を拡張した世界がそこに広がっているからだ。
自分の身体性の連続として、時間と空間、そして風景とつながっている。
そういった風景の広がりも自分の感覚の一部となるように、ちょっと先のことを考えてはこの瞬間とは違う可能性を泳がせている。
そういう習慣をずっと前から持っている。
出典:半歩先を読む思考法 p.4
表現が独特です。
そして落合氏の文章の特徴で一文が短い。そこに伝えたい言葉がチョイスされている感じがします。
この引用部が本書の要約だと思います。
シンプルに言えば「未来は今を生きる自分自身の思いっきり手を伸ばせる延長線上にある」ということで理解しました。
手を伸ばせば未来に触れられる、その手を伸ばすかどうかは自分自身の判断なのだと。
落合氏にすれば、未来とは常に自分自身に接続されているものなのでしょう。
「きっとこうなる」という未来の手触りを楽しみながら、そこに向けてどうして行こうかと思考を巡らせている状態を「半歩先を読む思考法」と表現していると思いました。
この考えはとても大事だと思いました。
なぜなら「今」がいっぱいいっぱいだと、その余力がないからです。
未来の手触りを感じながら、どうしてそこまで行こうかと思考を巡らせられる状態で常にありたいですね。
ここからは本書で共感できる!面白い!と思った部分を取り上げます。
「休息率=(ストレス回復/休息時間)」を高めるには
休息率の計算式を表すとこうなるんですね(笑)
初めて知りました。
休息を計算式にしようとも思わなかったですが、落合氏の休息への向き合い方はこうです。
休んだ記憶をできるだけ残す
この休んだことのアーカイブは結構重要だと思っていて、実際人は休んでいる時間の方が少ないから、「休んだんだ」という記憶があれば休まず働けるのではないかというトンデモ理論を僕は胸に秘めている。
限度はあるものの、意外と僕には効果てきめんで、子どもや妻を見つけたらとりあえずカメラでとっておくことにしている。
画像はGoogle Photosで同期させて他の端末で見られるようにしておく。トイレとかエレベーターとかで休みを感じる画像を思い返すと、「あ、自分は十分に休憩しているのだから働かないと」と思う感じになる。
僕の普段の可処分時間でいうと子どもと触れ合っている時間はほんの数分なんだけど、数分でできる限り記録に残す。
この作業が意外と重要だということに気がついたのは今日である(ずいぶん最近だ)。
出典:半歩先を読む思考法 p.74-75
これに共感してしまいました。
私は落合氏と同じくらい忙しいわけではありません。
きっと休日の使い方が下手なのでしょう。
しかし「せっかくの休みなのに何もしてない」って思うこと、ありませんか?
本当はしっかり休んでいるのに思い出せない。
だから記憶に頼らず、しっかりと記録として残す。
これから忙しくなるぞ、という時にはこの手法は有効だと思います。(私も良く使っています)
私は家族と出掛ける時は良く写真を撮ります。
そしてそれをきちんと管理しています。
PCだけではなく外付けハードディスクに保存したり、「これは」という写真はいまだに写真を現像してアルバムに貼り付けたりしています。
記憶は記憶です。
良い意味でも悪い意味でも時期や思考によって形が変わってしまいます。
しっかりそれを残したいのであれば記録することが大事だと思います。
次の休息率を高める方法は睡眠です。
20分以下の睡眠をとる
筑波の睡眠機構の先生と話しているときに、少ない睡眠時間をちょっと挟むとしたら何分以下がいいんですか?と聞いたら20分を超えると目覚めが悪くなるからやめた方がいいとアドバイスをもらったことがある。
これは結構大事なので、Apple Watchのアラームをうまく使いながら電車の中やタクシーの中でよく(ちょっとだけ)寝ている。
この睡眠を足すと1日5時間くらいの睡眠を確保できるようになっている。
ただ注意が必要なのは、よく電車を終点から折り返してしまったり、モノが盗まれそうになったりするのでやりたい人はチェーンをつけたりアラーム工夫したりして頑張ってほしい。
出典:半歩先を読む思考法 p.76
私は睡眠時間をしっかりとっている方だと思います。
なぜなら「今日は何時間寝る」ということからスケジュールを組んでいるからです。
しかしどうしてもやらなければならないことがあった場合はその限りではありません。
よって落合氏と同様、少し眠る時間をとります。
少しの睡眠が休息率を高めるのであれば、隙間時間で出来そうですね。
睡眠に関する記事も以前アップしているのでお時間の許すときにご覧ください。
次は面白い!と思った休息率の高めかたです。
日々を社会科見学の気分でレポートを書きながら過ごす(願望)
これが今年の目標なんだけど、新しいことがあるたびにブログを書き貯めながら、社会科見学の気分でタスクをこなしていくとストレスが少なそうな気がしている。
5分でもいいから能動的な振り返りをしながら、そしてそれを知的生産として積み上げながら過ごす大切さを感じている。
今年から来年のテーマと抱負は「新しい美的感覚・価値基準・モチーフの探求による守から破への移行」だから、そうやって考えたことを蓄積しながら、ストレスを緩和させていくことが大切なんじゃないかなぁと思ったり考えたりしている。
がんじがらめに「こうやってやらねばならぬ」みたいな考え方が一番ストレスフルだったりするし、考え方が硬直する原因なので、そこを見学気分の自分と熱くなる自分を行き来させながら捉え直していきたいなぁと思いながら。
出典:半歩先を読む思考法 p.76-77
この考えは面白い!と思いました。
私であれば新しいことに出会えたらわくわくしますし、もっと知りたいと思います。
しかし落合氏は「社会科見学の気分で」と言っています。
このギャップが面白い!と思いました。
新しいことに出会う確率が違い過ぎるんでしょうね。
その新しい出会いに一つひとつ全力投球していたらもたない。でも無視も出来ないから「社会科見学の気分で」ということなのでしょう。
そういう環境は羨ましいですが、当事者としては取捨選択をしなければならないのも大変ですね。
草鞋を複数履きながら走る日々を実現するには?そして体力的限界はあるのか?
本章のタイトルの通り、落合氏はいくつもの顔を持っています。
とても興味深い考察でしたので引用します。
先日授業で、音楽家のケンモチヒデフミさんと対談したときに複数の草鞋を履く(複数の顔を持って働き続ける)ことの話が出て、ケンモチさんは数年前まで会社員を続けながら作曲家をしていたという話を聞いた。
その話を自分に置き換えつつ、アーティスト、研究者、大学教員、経営者という顔を持っている自分の体力的限界とか、複数の面で社会と向き合いながら自分の能力を発揮していく方法を考えていきたい。(中略)
それで4足の草鞋を履くとき、自分に代替がきかなそうなものだけを残して極力それ以外を排除していこうと思うようになった。
例えば講演もビデオを送ることが増えたし、他の人に行ってもらうことも多くなった。授業は逆に僕がエキサイティングだと思えるようにうまく組んだり、メディアもそういう時間に変えつつある。
ここから考えられる生存戦略は、若くて体力があって脳もまだ体力が残っている間に面を貼ってできるだけ多くの領域に自分の世界観を作ることを目指すこと、そして、その領域の中で断捨離していくことなのかなぁと思っている。
出典:半歩先を読む思考法 p.78-80
若くて体力があって脳もまだ体力が残っている間に面を貼ってできるだけ多くの領域に自分の世界観を作ることを目指すこと、そして、その領域の中で断捨離していくことなのかなぁと思っている。
このフレーズ、良いですね。
自分を何者か決めつけない。
いろいろチャレンジしてみる。
そこで高みを目指し、ある程度登れたら断捨離する。
またさに落合氏がやっていることですね。
私もそうなりたいですし、我が子にも同様の教育をしています。
とりあえずチャンスがあればやってみよう、そうすれば良いか悪いか判断できるから。
その時間は無駄ではないと思います。
【思い込む力】が研究には必要
この章の話も共感しました。
引用してご紹介します。
今日はなんとなく研究の話。新入生のゼミが近いなぁと、そんなことを考える時期でもある冬の入り口を過ごしている。
表題は先入観の話じゃなくて、人材育成とマインドセットの話。思い込む力は俯瞰するとか客観視というのが対義語じゃない。(中略)
たまたま今週の授業のゲストが学長の永田恭介先生だった。学長とは一緒に出張に行ったり、筑波会議含め様々な無茶振りをいただいたり、昨年度まで学長補佐をやったりで、色々な時に話すことが多いんだけど、今回も印象的な会話があった。
「『なんか特に気になることもないし、何かに猛烈に根を詰める気もないし、適当に就職してそこそこやりがいがある仕事して、そこそこ楽しく幸せに生きられれば別にいいので、研究は卒業できる程度に、もしくはそこそこ人並に発表とかできればいいです』という学生が増えてきたら、どうやって研究の面白さを伝えたらいいですか?」
「そういう子は無理に研究しなくていいんじゃないかな、研究するには【思い込む力】が重要だからねぇ」
これはグッときた。このトピックはそれ以上話さなかったんだけど、「思い込む力」という一言は強力だ。
「妄想力」とか「偏屈さ」とか「根拠のない自信」とか「多動力」、そういうことを要因だと思って考えているけれどどこか欠けていると思う中で、その辺の単語の意味をスパッと「思い込む力」と言い表すのはすごい。
長年の悩みだった、「仮説を立てながら手を動かす能力」や、「実験をやり切る力」、「執筆のゴールまでたどり着く力」、そしてそれらを楽しくこなすこと、総じて「研究モチベーションは後発的に育てられるのだろうか?」という疑問がスパッと晴れてきた。
根拠のない自信を抱いて動き始めて、それを根拠に変えていく力とも言うのかもしれない。妄想力を守る力と失う力。今日はそんなことを考えながら。
さて、思い込む力か…なるほどな、と思った。
仮説を思い込んでいないと始められないし、思い込んでいるからやらないと気が済まないし、できると思い込んでいるからやり切らないと気が済まないし、やり終わったら思い込みが正しかったか正しくなかったかがハッキリして、感じ入る。
さっと思い込む力がほどけて、そしてまた次の思い込みへと猛進していく。(中略)
鶏が先か卵が先かを考えると始められないとき、卵だ!と思い込んで全力を尽くし、鶏だ!と考えて全力を尽くし、どちらでもなかったときに「どちらでもないのだ!探すのだ!」と思い込んで探し始める。
この思い込みの力をどこで身につけていくのだろうか。
醒める瞬間と熱狂の瞬間の反復横跳びみたいなものが必要なんだと思う。
博士課程の訓練はずっと考え続けること、興味を持ち続けること、自分の世界観と世界の間の距離を埋め続けること、そういった知的活動を愛し続けること、今この現実で価値があるという価値基準に支配され切らないこと、ミクロとマクロ、主観と文脈の間をいったりきたりしながら、常に思い込みの力を忘れない訓練だったように思う。
ビジョンを語るのには仮説が必要だ。仮説をさも当たり前のように語り続けるには思い込む力が大切だ。この思い込む力が強くないと自分の世界観で世界を切り取ることは難しい。
妄想を信じる力とそれを維持する力、それを捨てる力、そのバランスが必要だ。
ではどうやってそれを教育していくのかというところが本題なんだけれど、松岡修造になったつもりで考えてみた。
「無理だ無理だ無理だ」という学生に「絶対に絶対に絶対に目標を達成できる!」と言い続ける。
これは重要そうだ。
逆に、「できるできるできる」という学生に「無理難題無理難題無理難題」とハードルを逆に与え続ける。
これも俯瞰するのには大切そうだ。
思い込んで集中するための高い壁を用意し続けて、思い込みを簡単には排除しないという訓練は、思い込みを支えるのが必要だ、ということなんだと思う。思い込みを邪魔しない力が自分には求められているのかなぁと考えながら、しかし思い込みから俯瞰へ、文脈へ、というところを教育するには適切な問いを繰り返すことも必要だと思っている。
出典:半歩先を読む思考法 p.82-85
これは本当に大切なことを言っていると思います。
自分は自分で、自分が大切に思うことがあって、
それが世間と異なっていたらどうしますか?
世間に倣って行動するのは楽ですが、それでは65点の人生だとわかったらどうしますか?
自分が信じる人生が100点だと思ったらどうしますか?
思い込む力が必要なのは世間とのギャップがあるからだと思います。
傷つきながら、なおより良くしていきたいと進む場合、必要な力だと思います。
これから不確実性が増していく未来の中で、この思い込む力は本当に必要だと感じます。
そしてきちんと「捨てる力」も必要だと落合氏は付言しています。
思い込んでも、違ったら、捨てる。
これが醒める瞬間と熱狂の瞬間の反復横跳び。
とても大切ですね。
以前、「ビジョン」という言葉を好んで多用する孫正義氏の名言を記事にしたことがあります。
興味がありましたら是非覗いてみてください。
今回のまとめ
今回は「天才」落合陽一氏の著書「半歩先を読む思考法」を取り上げましたがいかがでしたでしょうか?
独特の言い回しで難しいなぁと感じる反面、それがいやに突き刺さる部分もあって読了後は大きな満足感を得ました。
最後に、いいな思う文章を引用して終わりたいと思います。
そういえば、NewsPicksのWEB番組「WEEKLY OCHIAI」でコロナ特集の第二回があった。
専門家でない分野の話で聞き役に徹するのも勉強になる。
人生は社会科見学、必要なのは知的好奇心と当事者意識だ。
コロナに関する質問をひたすらぶつける機会がないので、いつも非常に勉強になる。
知らないことがたくさんあると生きていることを実感する。
出典:半歩先を読む思考法 p.192
いくつもの草鞋を履く人でも、天才でも、
知らないことがたくさんあると生きていることを実感する。
と表現出来るところが素晴らしいと思いました。
奢っていないし、知に対してピュアなんだなと思いました。
これが落合氏を支えるものなのでしょう。
刺さる文章が多かったです。
私のブログのなかでここまで引用が多い記事は記憶にありません。
難しい本ですが、是非読んでみてくださいね。
ここまでご覧いただきありがとうございました!
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