グッデイ!ディズニーパパの教育系ブログへようこそ。
今回は私が転職した理由についてお伝えしたいと思います。
仕事をしている人であれば「転職」を考えたことは1度くらいあることと思います。
それはもっと自分のやりたいことをしたいなどの前向きなものから、
勤めている会社が倒産して、というのもあるでしょう。
起業した人も上手くいかずにサラリーマンになったという人もいます。
プロ野球選手だったが、引退して居酒屋をしているという人もいます。
転職は当たり前のことなので、私の体験も誰かにお役に立てるのではないかと思い記事にしました。
それでは早速いってみましょう。
私の前職
私は大学卒業後、新卒で銀行に就職しました。
理由としては「お金という誰もが必要とするものを、必要な人に届けたいから」でした。
就職活動でメーカー等も回りましたが、ある形のものよりも、形のないものを形にする方がより楽しいかなと思ったので銀行にしました。
私がお届けするのはお金で、それを形にするのは融資を受けた人です。
ある人はそのお金で住宅を購入するでしょう。ある人はそのお金でクレーン車を購入するでしょう。
形のないものを形にする仕事の方が、様々なことに関われて楽しそうという思いもありました。
最初の配属は大きな支店でした。そのエリアの母店でした。
最初の配属でその人への期待値がわかるよ、なんて言われていたから少し嬉しかったです。
証券外務員などの必要とされる資格はさっさと取得し、毎日のように新しい仕事を覚え実践する日々は大変でしたがとてもやりがいがあるものでした。
銀行には明確なノルマがあります。上場企業であれば当たり前ですが、マーケットと約束した数字を達成するのが第一となります。
これが噂に聞くノルマか、と思いながらやっていました。
やらなきゃいけないのならばやらねば、という思いでやっていました。
達成できないノルマはありませんでした。
ただし、早めにノルマを達成すると未達の人のノルマをやらなければならないことに後々気付き、刈り取るネタはあるにも関わらず、「まだ達成できません」とうまくかわすことも覚えていきました。
最初は雑用から入り、徐々に消費者ローンや住宅ローンなどの個人融資を覚えていきました。
同時に債権回収の稟議の書き方を覚えたり、法人融資もやっていきました。
今思えばその仕事のバラエティーから、とても期待されていたんだなと思います。
3年目の途中からは係替えで完全に法人融資担当になりました。
しかも担当エリアは「店周」と言われる母店エリア周辺です。
大きな支店だったため、エリアは広範囲でしたが私に与えられたエリアはエースポジションでした。
なので大変に頑張りました。
絶対無理だろうと言われていた企業にも融資案件を獲得し、他の銀行がメインの先を借り換えして、従業員の給料指定口座も根こそぎ奪いました。もちろん住宅ローンもすべて借り換えさせました。
他の銀行の支店長にマークされ、係替えで支店長級の人を営業の対戦相手として持って来られたこともありました。
ある取引先の社長から「うちの会社への提案、こんなの思いつかなかったよって〇〇銀行の支店長が言ってたよ。あなたが担当で良かった」と言って頂けたのが本当に嬉しかったです。
人事異動で他の支店に行っても変わらず、大変でしたが充実した日々を過ごしていました。
6年目で本店へ異動しました。
待遇は人事部付トレーニーとして。
私は英語も喋れるため、外国為替も理解する人材を育成したいとのことで大きな期待を背負って1年間で本店内の審査部や市場業務部などのあらゆる部門、母店となる支店などを経験しました。
その間に同期最速で役席者となり、部下を持つようになりました。
一般的な融資の他にデリバティブを伴うファイナンススキームも覚えました。
初めて打ったクーポンスワップで数百万円のアップフロントフィーを得た時はとても嬉しかったです。
保有する資格も支店長になれるまでになりました。
実績も申し分ありません。
このまま支店長になって、部長になっていくんだろうなと漠然と思っていました。
しかし転機が訪れます。
ある支店に配属になった頃、役席者として支店を指揮する立場になっていました。
途端にお客様の顔が見えなくなりました。
20代で支店をマネジメントする立場となり、戸惑いが生まれました。
最大の仕事はその支店の管理となり、支店と銀行の数字を達成すること。具体的には融資額や手数料、債権回収、残業などの人件費の管理ばかりするようになりました。
お客様のもとへは基本部下から同席の依頼があって行くもの、となりました。
支店長決裁の稟議は名ばかりで、私の決裁となりました。
お客様案件は債権回収が主になりました。
時には債権回収対象企業の社長宅で張り込んだりしました。
その頃、待望の第一子が生まれました。
早く帰りたくても稟議の決裁者は私です。
そして私が勤務していた銀行は基本的に銀行の通用口の鍵は一般行員、金庫の鍵は役席者が持っていました。
最も若い役席者だったので、私が金庫当番でみんなが退勤するまで金庫を閉めることが出来ませんでした。
どの役席者よりも早く来て金庫を開け、どの役席者よりも遅くまで残り金庫を閉めていました。
私の銀行へ就職した理由は「お金という誰もが必要とするものを、必要な人に届けたいから」でした。
それが徐々に崩れていきました。支店の数字を管理し、必要のない融資を打ち込み数字をつくり、自宅に張り込み「助けて」と債務者から言われても容赦なく債権回収することがメインの仕事になっていました。
そして遅くまで仕事をし、立場上接待も多く、子どもが生まれたというにも関わらずプライベートも犠牲にしてきました。
ある時、ふと「これって俺がやりたい仕事だっけ?」と思いました。
俺が行動することで誰が喜んでいるんだ?
これは社会から必要とされていることか?
自分の子どもの面倒も見れないで、絶対にやらなければならないことか?
子どもが大きくなった時に誇れる仕事か?
銀行の営業車のなかで、自分との対話をしました。
出した結論が「転職しよう」でした。銀行員として10年目の冬のことです。
ウォルト・ディズニーの世界へ
銀行員としてのスキルは抜きんでいたと自負しています。
達成できないノルマはありませんでした。
期末までの数字は揃え、同時に転職活動を始めました。
テーマは「人の役に立ちたい」でした。
出来れば企業の営利目的の延長線上に顧客のニーズがある、という仕事が良いなと思っていました。
事業の継続性として「利益を得ることが出来る」は絶対条件でした。
要は顧客が喜んでお金を払ってくれる会社。
そんな時に、子どもが読んでいた絵本がディズニーシリーズでした。
子どもから大人まで楽しめる上質なストーリー。
本や映画、おもちゃ、テーマパーク…あらゆる媒体で楽しめるコンテンツ。
子どもが大人になっても絶対に廃れることのないネームバリュー。
みんなその世界観が好きで、喜んでお金を払ってくれる。
子どもたちにも誇れる仕事!
これだ!とディズニーの門を叩きました。
結果は合格。
1月に結果が出て、銀行に伝えました。
支店長は残念そうでしたが、銀行員は銀行が斜陽産業であることは一番理解しています。なので引き留められることはありませんでした。
きちんとノルマを果たし、取引先のホテル主催の1泊2日の出張もこなし、2月の半ばから有給休暇消化に入りました。
そしてその年の4月に現在の会社に入社。転職決断から数か月で実行となりましたが、とても充実した日々を送っています。
今回のまとめ
想いが溢れ、とても長文となってしまい申し訳ありません。
やはり銀行はお世話になったな、と思っています。
たくさんの会社を受け持って、その会社の社長と対等に喋れるという経験はなかなか出来ないと思います。
しかも20代そこそこの時ですからね。
起業した経緯や、会社の名前に込められた思い、苦労したことなどを聞くのが本当に楽しかったです。
営業で訪れた会社でサッカー好きの社長と一緒にテレビでワールドカップを観戦したり、ご飯に行ったり、いろんなお店に連れて行ってもらったり、とても仕事とは思えないこともたくさんしました。良い思い出です。
仲間にも恵まれて、たくさん飲みに行きましたし、ノルマが達成している期は支店長とバッティングセンターに行ったり、交際費を使って接待先を新規開拓したり、破天荒に過ごしていました。
若くしてマネジメントとなり苦労もたくさんしましたが、債権者会議でも様々な銀行を取りまとめたり、社債発行のアレンジメントをしたり、外国企業相手のインパクトローンを打ったり、銀行員として様々な経験が出来たので後悔はありません。
私が転職した理由。
それは私がやりたいことをやりたいから、でした。
自分自身の成長、周囲の環境、置かれている立場などでその考えは形を変えると思います。
転職は悪いことではありません。むしろ当たり前のことと思います。
新卒から40数年も同じ会社に所属する、というのは現代では無理があると思います。
そもそもそんなに事業が継続するかも怪しいです。
なので、今置かれている立場でベストを尽くすことは前提として、社会全体に目を向けてより良い会社に転職することや起業をすることなどを視野に入れることは、是非積極的に行って頂きたいと思います。
それが社会の活性化に繋がると思います。
私はまだ満足していません。
なのでこのブログを始めました。
このブログのテーマは「幸せになれるアイディアをあなたへ」です。
誰かの役に立つ、というのが好きなんです。
2022年5月からこのブログを始めたのでまだ1か月くらいですがとても充実した毎日を過ごしています。
ウォルト・ディズニーの世界観は素晴らしい、作品で届けるだけではもったいない、と思ったのがきっかけでした。
この考え方は子育て世代の我々が受け止めて、育児教育に活かしていくべきだ。
学校教育を受けて一丁あがり、ではなく、エンターテインメントを含めた様々な経験を通じて世界規模で物事を考えて欲しいと思って発信をし続けています。
Twitterも始めました。
自分の人生は自分で決める。
転職しようか迷っている方へ、この言葉を実際に声に出して言ってみてください。
奮い立ちますよね。きっと勇気を貰えることと思います。
これからも子育て世代を中心に有意義な情報を発信していきたいと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございました!
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