英語で悩んでいる方必見!なぜ日本人は英語が出来ない?明治時代からの英語教育論争史を深掘り!

教育

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皆様、英語は出来ますか?

我々親世代は中学校から英語教科を始め、

義務教育では3年間、

高校進学をしていれば更に3年間。

多くの方が6年間、しっかり英語学んだと思いますが、英語に自信があるという方は少ないのではないでしょうか。

現代の子どもは、小学校から教科として英語を学びます。

我々親世代は過去の経験から、

「英語が出来るようになって欲しいけど、学校の英語では出来るようにはならないのではないか」

と考えているのではないでしょうか。

では、どうすれば良いのでしょうか。

もっと早くから始める?

英語に興味を持つように、「話す」ことを重点に始める?

しっかり正しい英語を学べるように、「文法」から始める?

英語を学ぶのを止めてしまう?

実はこの議論、明治時代からあったことをご存知ですか?

既に100年以上前から議論されていたなんで驚きます。

そして100年以上議論をして、結果が現在の姿です。

これは議論の途中経過なのか、はたまたもう答えは出ているのか。

過去を振り返り、現在に活かし、未来に繋げていくために、とても良い本がありましたのでご紹介していきたいと思います。

本書を読んで我が子の英語教育をどのようにしていくべきなのか考えていきたいですね。

これを読み終わった時に英語との向き合い方がきっと変わることと思います。

それでは早速いってみましょう。

今回の参考文献

今回の参考文献はこちら。

著者は江利川春雄氏。

1956年、埼玉県生まれ。大阪市立大学経済学部卒業、神戸大学大学院教育学研究科修士課程修了。広島大学で博士(教育学)取得。専攻は英語教育学、英語教育史。和歌山大学名誉教授。日本英語教育史学会名誉会長。

しっかりと分厚い本で非常に中身が濃いです。

本書はここから始まります。

はじめに―100年越しの「真剣勝負」

自分が受けてきた英語教育に満足している日本人は少ないのではないだろうか。中学・高校だけで6年間、膨大な単語を覚え、文法を勉強し、暗号解読のような苦労で英文を訳し、長文の速読練習もした。定期試験に追われ、受験勉強も頑張った。それなのに、英会話となると言葉が出てこない。読もうとしても知らない単語だらけ。英作文はいつまでも自信が持てない。

たいへんな労力をかけた割には、使えるまでにならない。それが英語だ。なのに、なぜ中学・高校で英語が必修なのか。この報われないエネルギーを他教科の勉強にまわせば、日本人の学力はもっと向上するのではないか。せめて選択科目にして、本気で英語をやりたい人にだけ集中特訓をすればよいではないか。

こんな疑問を抱いた日本人は戦前からたくさんいた。

英語教育論争史 p.3

この引用部分の多くは「その通り!」と膝を打つことでしょう。

そして最後の「こんな疑問を抱いた日本人は戦前からたくさんいた」の文章に驚いた方も多いのではないでしょうか。

そして同時に「なんでそんなに昔から議論されているのに、今も同じような議論がされているの?」と疑問に思ったに違いありません。

その疑問を解決するのが本書です。

どのような議論があって現在に至っているのか。

その議論を楽しみながら「英語教育論争史」を勉強していきましょう。

本書の構成はこちら。

はじめに―100年越しの「真剣勝負」

第1章 早く始めれば良いのか?-小学校英語教育論争【明治期】

第2章 優先すべきは訳読か?会話か?-文法訳読vs.話せる英語論争【明治-大正期】

第3章 目的は教養か?実用か?-中等学校の英語存廃論争【大正-昭和戦前期】

第4章 英語は全員に必要なのか?-「カムカム英語」と英語義務化論争【昭和戦後初期】

第5章 国際化時代に必要な英語とは?-平泉・渡部「英語教育大論争」【昭和後期】

第6章 外国語は「英語だけ」でよいのか?-英語帝国主義論争【平成期】

終章 そもそも、なぜ英語を学ぶのか?-英語教育論争史が問いかけるもの

目次を見ただけでも、「えっ、英語の早期学習って明治期から言われていたの?」という気付きがありますね。

わくわくしながら読み進めていきたいところですか、弊ブログでは紹介出来るスペースが限られていますので、是非興味を持っていただけたら上記リンクからのご購入を宜しくお願いします。

明治期の英語学習

本書のスタートは明治期から始まります。

明治時代とはどんな時代だったのでしょうか?

出典:明治 – Wikipedia

我々が日本の歴史で学んだ「大政奉還」があり、武士の時代が終焉したのが明治ですね。

その後急速に近代化が進んでいく時代です。

そして日清戦争、日露戦争の勝利により大国への道を歩んでいくこととなります。

そんな時代背景の中、英語はどのようにして学ばれていたのでしょうか。

明治政府が近代学校制度の最初の設計図として公布した1872(明治5)年の「学制」では、すでに上等小学科(10~13歳)で地域の実情に応じて「外国語の12」を教えてもよいとされていた。しかし、当時は外国語(英語)を教えようにも教師がほとんどいなかったから、実際に教えた学校はごく少数だったようである。

転機となったのは1884(明治17)年11月29日の「小学校教則綱領」改正で、文部省は小学校で「英語の初歩を加うるときは読方、会話、習字、作文等を授べし」と定めたのである。その理由は「開港場等にある小学校の教則には英語を要するの場合あるべきを以ってなり」(『文部省年報第12(明治17年)』2頁)というものだった。

英語教育論争史 p.12-13

なんと既に明治5年から10歳頃から英語教えてもよいですよ、というお達しが政府から出ていたんですね。

江戸時代などにあった「寺子屋」では地域の実情に合わせて教育がなされていたようなので、もしかしたらもっと以前から英語を学ぶ環境はあったかもしれませんが、

明治政府がお達しを出していた、というのは注目に値します。

しかもそれが10歳から、というのは奇しくも現代と同じです。

出典:小学生の英語はいつから?必修化の影響は? (zkai.co.jp)

さて、そんななか歴史上初めての論争が起きます。

英語を小学4年生から教えるべきか、中学1年生から教えるべきか。それが最初のテーマだった。明治の代表的な教育雑誌だった『教育時論』1885(明治18)年8月15日号の巻頭には「英語を小学科中に加えんとせば高等科よりすべし」という無署名論文が載っている。当時の小学校は3段階に分かれており、初等科が現在の1~3年生(6~8歳)、中等科が4~6年生(9~11歳)、高等科が中1~中2(12~13歳)だった。

記事によれば、当時の茨城県の教育界では、ほぼ全員が小学校英語教育に賛成だった。意見が対立したのは開始学年の問題で、中等科(現在の小4から)がよいか、高等科(現在の中1から)がよいかで論争となったのである。記事は両論を紹介しているので、読み比べてみよう。

英語教育論争史 p.14

ここから先は引用すると長くなってしまうので、ピックアップしてお伝えします。

中等科から開始すべきという意見

・外国人が暮らすようになると英語が話せないと困るから。

・日本を欧米並みに引き上げるため、文明国の英語を一刻も早く国内に普及させたいから。

高等科から開始すべきという意見

・英語は習得が難しい言語なので中学校程度の発達段階になってからでもよいから。

・英語を教えることのできる小学校教員の確保が難しいから。

・英語の発音は複雑なので小学生には難しいから。

これらの意見を聞いて、皆様はどう思われましたか?

私は一部時代背景的な理由もありますが、概ねおよそ明治期に議論された内容とは思えない、今でも議論されている内容だ、と感じました。

著者も同様の考えのようで次のように記しています。

いかがだろうか。私はこれを読んで、早くも1885年の段階でこのような賛否両論が出ていたことの先駆性、そして論文筆者の見識に驚いた。というのは、このあと見るように、これらの賛成・反対意見はその後も出され続け、平成の小学校英語教育論争でも同様の主張がなされたからである。また、地域性を踏まえて選択科目として教えるべきという意見は、その後の高等小学校における外国語(英語)教育の基本路線となった。現在の中学1年生から教えよという主張も、旧制中学校および戦後の新制中学校での外国語開始年齢とまったく同じだからである。

どんな巨木も小さな種から始まるように、何ごとも端緒の内にその後の展開が萌芽として含まれている。その意味で、この1885年の論考は、小学校英語教育論争のみならず中等学校の英語教育存廃論争の端緒を開くものとして貴重である。

英語教育論争史 p.15-16

明治期-大正期の英語学習

近代化の波が押し寄せ、明治政府の旗振りにより小学生から英語を学ぶ環境が生まれました。

その環境は論争を巻き起こしながらも徐々に整備されていきました。

そんななか「次のステージ」を見据えて、明治期-大正期の注目される論争が起こります。

明治前期の実学としての英学の時代が終わると、いつまでも翻訳による西洋文明の受容だけに甘んじることはできないとの主張が現れた。日清・日露戦争の勝利を経て日本の経済力や国際的地位が向上するにつれて、英語による発信も必要となり、英会話を含めた英語コミュニケーション能力(使える英語力)を求める声が強まった。19世紀末からヨーロッパで起こった音声重視の外国語教授法改革も日本に影響を及ぼした。他方で、文法や読解こそが日本人には重要だとの主張も根強かった。

優先すべきは文法訳読か、話せる英語か。この問題は今日まで続く日本人と英語をめぐる大問題である。たとえば、中曽根内閣直属の臨時教育審議会は、1986(昭和61)年4月の第2次答申で、「中学校、高等学校等における英語教育が文法知識の修得と読解力の養成に重点が置かれ過ぎている」と批判した。これを受け、文部省は1990年代以降の英語教育を「コミュニケーション重視」に切り換えたのである。

文法と読解を攻撃し、「話せる英語」をめざした実践的な英語教育の要求。これと同様の議論は、すでに1900~1910年代(明治末期~大正初期)に行われていた。「英文法偏重・擁護論争」と「ナチュラル・メソッド論争」である。

英語教育論争史 p.49

この論争を一つひとつ追っていくと第2章を丸々引用することとなりますので割愛しますが、重要なのは既に「話せる英語」に焦点があたっている、ということです。

中学・高校と6年間も英語を勉強したのに、海外旅行で英語が話せないなんて!

このギャップは既に100年以上前から指摘されていたんですね。

驚きです。

現代を生きる我々にとって、この論争の結論が出ていないことは身をもって理解しています。

実際に上記のような「6年間も勉強したのに海外で英語が話せない」ということを体験しているからです。

さて、本項のまとめはこうです。

英語には聞く、話す、読む、書くなど多様な側面がある。さらに学校の英語教育には異文化理解や母語の再確認などによって人間形成に寄与するという使命がある。どの側面を育成したいかによって、教授・学習法は異なる。ホンモノの英語力をつけたいなら、「文法訳読か話せる英語か」ではなく「文法訳読も話せる英語も」である。

英語の教授・学習法は、目的、領域、年齢、個性等によって多様な選択肢から選ぶべきである。それらを無視して、自分の関心と立場からのみ主張し、相手を一方的に批判(しばしば非難)するならば、論争は不毛となり、英語教育は進歩しない。1900~1910年代の「英文法偏重・擁護論争」と「ナチュラル・メソッド論争」は、当事者それぞれの見解に一面の真理を含んでいたが、それを過度に一般化し、絶対の真理であるかのように主張したために、平行線のまま立ち消えとなったといえよう。

英語教育論争史 p.85-86

「文法訳読か話せる英語か」については結論は出ていない、平行線のまま立ち消えたと著者はまとめています。

我々が経験してきた通りです。

大正期-昭和戦前期の英語学習

この頃になると徐々に「血の匂い」がしてきます。

ナショナリズムが強調された戦時下でおこなわれた英語学習はどのようなものだったのでしょうか。

1910~20年代の大岡育造や藤村作の主張は、日本が第一次世界大戦の戦勝国として「世界五大国」にのし上がったことによる自信と、アメリカの排日移民法への反発を社会的背景にしたナショナリズムを特徴としていた。遠藤も大岡も藤村も欧米のヘゲモニーからの脱却を訴え、ヘゲモニー言語である英語の廃止論に及んだのである。

英語教育論争史 p.133-134

ヘゲモニーとは「覇権」を意味します。

「帝国」日本としてはヘゲモニー言語である英語を廃止しようとするのは当然の流れでした。

一方で英語教育に別の価値観を見出した意見も出現します。

広島文理科大学(現・広島大学)教授で教育学者の長田新(1887~1961)も「英語教師論」(『英語教育』1936年9月号、4頁)で、「中学の英語教授の目的は人格教養の立場に立つほか立つべき立場はないと思う」と述べた。その上で、「実用主義に立つものとしての中学英語教授に対する世の非難、たとえば藤村作博士の雑誌『現代』昭和2年5月号に寄せた『英語科廃止の急務』の論の如きは我が国の英語教授にとっては全く意味なき単なる空語でなくてはならない」と批判した。

このように、中等学校における外国語(英語)の目的論のキーワードは「教養的価値」となった。それを認めるか否かによって、廃止・縮減論か存置・継続論かのどちらかに立つかがほぼ決定づけられたのである。この「教養的価値」の淵源は福原の恩師である岡倉由三郎の『英語教育』(1911)だったが、英語教育存廃論争によって揉まれ鍛えられる中で英語教師たちが拠りどころとし、失業の危機から護ってくれる魔法の言葉となった。

「英語は過重な負担の割には使い物にならない。だから廃止してしまえ」という攻撃に対して、「学校英語教育の目的は単に英語の技能を切り売りすることではない。英語教育を通じて人格を陶冶し、広い視野をもった教養人を育てるためである」と反論する。なるほど、これならば「使えない英語」でも教える価値があるとなる。英語に限らず、微分積分も跳び箱も実用的に使いこなす人はごくわずかだが、人格陶冶と人間の全面的な発達を目的とする学校教育には欠かせない。しかし、そうした教養主義的な英語教育論は厳しい試練にさらされることになる。戦争の泥沼化である。

英語教育論争史 p.138-139

敵国語となった英語への風当たりは日に日に強くなっていき、明治期からの「英語を習得しよう」という流れは大きな転換期を迎えました。

そのなかでも視点をずらし、「教養的価値」を見出し英語教育を存続させようとしていたのがこの時期です。

昭和戦後初期の英語学習

日本は第二次世界大戦に敗れ、敗戦国となりました。

その頃の英語学習はどうだったのでしょうか。

それまで「鬼畜米英」と恐れていた占領国の兵士が、実は気さくな若者であることに人々は安堵し、親近感を覚えた。GHQが次々に打ち出す反軍国主義と民主主義の政策も、戦時下の抑圧と閉塞感を吹き飛ばす解放の旋風だった。1946年にアメリカから緊急輸入された70万トンの食料は、飢餓線上の日本国民を歓喜させた。当初には日本共産党の幹部までもが占領軍を「解放軍」と規定したほどだったのである。

すると不思議な現象が起こった。無差別爆撃や原爆投下で女性や子どもまで焼き殺し、自国を敗戦に追いやった戦勝国アメリカ。その言語であるアメリカ英語を日本人の多くが学び始め、一大「米会話」ブームが起こったのである。そんな倒錯した現象はなぜ、どのように起こったのだろうか。

占領下の教育改革によって1947年に新制中学校が発足し、日本の歴史上初めて誰もが外国語(英語)を学べるようになった。英語は選択科目であったが、高校入試に英語が加えられたこともあり、徐々に実質的な必修科目になってゆく。すると農村部を中心に英語の義務教育化を疑問視する声が沸き起こり、戦後初の英語教育存廃論争に発展する。

英語教育論争史 p.144

急激な変化ですね。

先日まで敵国としていた国を戦後は解放軍と規定するとは。

その変化に呼応するように英語は実質的な必修科目になっていきました。

そんな中でも農村部では英語必要?という論争があったということですね。

ではまず英語賛成派からみていきましょう。

敗戦直後の英語ブームについてはよく語られるが、一般国民の英語熱ばかりが強調され、国会が英語奨励を決議し、国策としたことは忘れ去られているようだ。敗戦からわずか4ヵ月後の1945年(昭和20)年12月14日、第89回帝国議会請願委員会において「英語奨励に関する請願」が採択され、同17日の衆議院本会議で可決承認されたのである。それには次のように書かれていた(国立国会図書館「帝国議会議事録検索システム」で検索)。

戦時に於いて英語教育を軽視または廃止せるは我国の文化向上を妨げ、また我国を敗戦に導きたる原因なりと信ず。依て広く智識を世界に求め日米親善世界平和を促進せんが為、政府は英語教育の一大振興を図られたし。

つい4ヵ月前まで英語を敵国語として抑圧していた国家の政治家たちが、連合国軍の占領下で手のひらを返し、英語奨励の国会決議を行ったのである。明治時代の「欧化政策」ならぬ「米化政策」である。

英語教育論争史 p.145

英語賛成派として挙げられるはまずは国ですね。

引用にもありますが、明治期も旗振り役は明治政府でした。

国は英語学習について戦前の反省を生かし次のように転換します。

戦後教育の基本方針を示した文部省の『新教育方針 第1分冊』(1946)は、冒頭で敗戦に至った経緯を総括している。そこでは、日本が「すでに西洋文化と同じ高さに達したと思いこみ」「西洋の文化を軽んじ、その力を低く見て、戦争をひき起こし」た結果、敗北したのだと述べている。その反省の上に、今後は「西洋文化をその根本から実質的に十分取りいれ、それを自分のものとして生かすようにつとめなくてはならない」(4頁)と呼びかけている。

第一次世界大戦で戦勝国になった直後には、日本は西洋列強と並ぶ五大国になったと思い込み、その驕りが英語科廃止論の一因になった。ところが、第二次世界大戦で敗戦国となった直後には、その思い込みを反省し、ヘゲモニー国家アメリカの文化と英語を謙虚に学ぶ姿勢に転じたのである。

英語教育論争史 p.146-147

このような戦後教育の転換、そして進駐軍の多くが英語を母国語とする兵士だった環境もあり、市民の間では空前の英語ブームが起こりました。

次に英語反対派の意見もみていきます。

英語必修化状況が始まった1950年ごろになると、中学校で英語を義務的に学ぶ必要性を疑問視する声があがるようになった。(中略)

英語を学ぶ必要性への疑問は、農山村部で多かったようである。(中略)

早い段階の証言としては、1948年度の様子を山形県の中学校に勤める加藤市太郎が次のように述べている(『英語 教育と教養』1949年2月号、29頁)。「山形県の新制中学校では、大抵のところで英語を教えている。(中略)農村の学校では、生徒の興味は永続せず、大部分の生徒は、卒業後農業に従事するのだから英語は必要がないと考えるようになるらしい」。この時代の日本は全世帯の約半数が農業を営んでいたから、農家の子弟に英語はいらないとする考えは新制中学校の英語教育の意義を大きく揺るがすものだった。

英語教育論争史 p.167-168

日常生活で使う必要のない英語はいらない、という意見ですね。

国策として英語学習を進めていく中で反対派の意見にも耳を傾け、目的を理論化する必要に迫られた英語教師たちは次のようなものを打ち出します。

英語教育の義務化を疑問視する声に対して、英語教師たちは全員に外国語学習を保障する「国民教育としての外国語教育」の目的論に関する理論化を迫られた。(中略)

1959(昭和34)年の日教組第8次教育研究集会(全国教研)の外国語教育分科会では、機械的な模倣と反復による習慣形成で英語が習得できるとするオーラル・アプローチに対して、「技術だけが関心事になっているが、何のために、を考えるべきである」(兵庫)として、目的論の確立を求める意見が出された(日本教職員組合編『日本の教育 第8集』1959年、上巻63頁)。これらを受け、同分科会では「国民教育としての英語科のあり方を明確にすること」を次年度への課題とすることを決定した。では、戦後の民主主義教育において登場した「国民教育としての外国語教育」の意義とは何だろうか。その回答が、1962年2月の第11次全国教研(福井)で議決された「外国語教育の4目的」だった(『日本の教育 第12集』49~50頁)。

1.外国語の学習を通して、社会進歩のために諸国民との連帯を深める。

2.思考と言語との密接な結びつきを理解する。

3.外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知ることによって、日本語への認識を深める。

4.その外国語を使用する能力の基礎を養う。

この「外国語教育の4目的」は外国語教育を通じて人間形成という視点に立ち、「諸国民との連帯」や「日本語への認識を深める」など広義の教育的価値論に立脚している。

英語教育論争史 p.174-175

戦後の英語ブームの中で「役に立たない」と揶揄された英語に対し、英語教師たちは「外国語教育の4目的」を打ち出しました。

昭和後期の英語学習

日本は高度経済成長期を迎え、グローバル化が進んでいきました。

この時期の英語学習はどうだったのでしょうか。

平泉-渡部論争の根底にあった対立は、学校教育における外国語教育が実用的な技能習得のためか(平泉)、知的訓練と潜在力(基礎基本)のためか(渡部)という目的論の相違だった。明治以来、外国語の実用的目的(技能面)を重視する考え方と、教養的目的(ないし教育的価値、修養的価値、文科的価値)を重視する考え方とが絶えず対立してきたが、平泉-渡部論争もその延長線上にあった。

技能に特化した街の英会話学校とは異なり、学校の一教科としての外国語教育には実用と教養の両面が切り離しがたく結びついており、しかも学ぶ目的は一人ひとりが異なる。そのため、一つの側面を前面に押し出せば、他の側面と必ず衝突する宿命なのである。実用的な外国語の能力が必要になるかどうかは、将来の職業と同様、本人も含めて誰にもわからない。そのため早期のコース分けは危険である。(中略)

平泉は学校教育で外国語能力が実用の域に達することができるとの前提で議論を進めた。だが、それは可能なのだろうか。母語である国語教育の場合は、学校で学んだことが日常生活での数千・数万時間の実地訓練によって補強される。他方、外国語教育の場合は教室外での実地訓練はほとんど期待できないのだから、一般の学校教育に実用レベルを求めることは「無いものねだり」ではないだろうか。

英語教育論争史 p.223-224

この時期の論争としては以下の通りです。

・学校教育における外国語教育が実用的な技能習得のためか

・知的訓練と潜在力(基礎基本)のためか

グローバル化が進み、ビジネスで英語が必要となる中での論争でした。

著者の意見は上記ハイライトの部分ですが、私も同意します。

平成期の英語学習

いよいよ平成期に入ってきました。

我々親世代が学生だった頃の話ですね。

この頃の論争の争点は「外国語は英語だけでよいのか?」という点でした。

平成期の論争は今回私が本書を取り上げた視点からやや飛躍する為割愛します。

英語はどれくらい「難しい」のか

ここまでで12,000字を費やしています。

長文となりましたが、ここまでの流れをざっくり整理すると、時代の流れに翻弄されながらも外国との繋がりは切っても切れないのだから、使えるか使えないかは一旦置いておいて、英語は勉強しておこうよ、という感じです。

さて、冒頭私はこう質問しました。

皆様、英語は出来ますか?

多くの方は「いや、出来ないです」と答えるでしょう。

そして同時に

我々親世代は過去の経験から、

「英語が出来るようになって欲しいけど、学校の英語では出来るようにはならないのではないか」

とも記載しました。

その考察が正しいこと、そしてその根拠をとても具体的に著者が示しています。

では、日本人にとって英語の難易度はどの程度なのだろうか。アメリカ国務省語学学校の研究を紹介しよう。

日本の外務省にあたるアメリカ国務省には、外交官などの政府職員向けの言語教育を担当するSchool of Language Studies(SLS)があり、世界の70以上の言語を教育している。通常は1クラス4人程度の超少人数で、1日に4~5時間の授業、1時間がコンピュータ演習、数時間を宿題などの自学自習に充てる集中訓練を課す。到達目標は「自分が専門とする仕事に使えるコミュニケーション力」で、0(ゼロ)(運用能力なし)から5(母語話者レベル)の6段階中の3のレベルである。

学習する言語は言語的距離による難易度別に4カテゴリーに区分されている。アメリカ人にとって習得が最も簡単なカテゴリー1は、フランス語、スペイン語、イタリア語などの「英語と密接な語族関係にある言語」で、目標達成までに24~30週間(600~750授業時間)で済むとされる。その対極にあるのが、カテゴリー4の「超困難な言語」(Super-hard languages)つまり「英語母語話者には極めて難しい言語」で、アラビア語、中国語、日本語、韓国語の4言語である。目標達成までに88週間(2200授業時間)が必要とされ、カテゴリー1の実に3倍もの時間を要する難物なのである。

これを反対側から見れば、日本人にとって英語がどれほど難しい言語かがわかる。外交官のようなモチベーションの高い、知的訓練を経た学習者を、優秀な教員が、超少人数教室で朝から晩まで集中訓練しても、仕事でつかえるレベルに達するのに2200授業時間を要し、さらに半年ほどの留学が推奨されている。ところが、日本の学校教育では中学・高校の6年間に毎週4時間の英語の授業を受けたとしても、せいぜい840時間ほどにしかならない。これはSLSが求める2200時間の38%程度で、これに小学校高学年での週2コマの英語を加えても大差はない。しかもモチベーションや学力が多様な生徒が集まる大教室においてである。学校教育に「仕事で使える英語力」を求めること自体が、いかに理不尽な要求であるかは明らかであろう。

英語教育論争史 p.259-260

まとめます。

アメリカ国務省が考える「超困難な言語(例:英語→日本語)」習得への道のり。

対象者:知的訓練を経た外交官

授業時間:2200時間

授業形態:1クラス4人程度の少人数

教員:アメリカ国務省が選任したスペシャリスト

日本の教育の現状(例:日本語→英語)

対象者:全小学生・中学生/高校進学者

授業時間:840時間程度

授業形態:1クラス30人程度

教員:教員免許取得者

はっきり言って、これじゃ英語使えませんよね。

ここまで示されると諦めがつきます。

なぜ我々は「たくさん勉強したのに英語が使えない。何で?」なんて思っていたのでしょうか。

その疑問さえもおこがましいですね。

今回のまとめ

「英語で悩んでいる方必見!なぜ日本人は英語が出来ない?明治時代からの英語教育論争史を深掘り!」と題し、記事を進めてきましたがいかがでしたでしょうか。

なぜ日本人は英語が出来ない?という疑問については前項で触れた通り

質も量も全く足りないから

ということがわかります。

我々が受けてきた教育は間違いだったのか?という疑問については評価が分かれるところかと思います。

ここまで時代に翻弄される教科は無いのではないか、と思うくらいに各時代で扱いが異なります。

しかしあらゆる場面で論争が行われ現在に至っている歴史をみてきました。

それだけの積み上げはありますが、英語習得に関してははっきりと答えを出すことさえも困難ということでしょう。

今後もテクノロジーの発達により、教育方法は変わっていくことでしょう。

現時点ではっきり言えることは、英語を習得することは簡単ではないということです。

Q1:幼少期から英語を学ばせれば良い発音で話せるようになる?

Q2:耳で聞くだけで英語が話せるようになる?

A:なりません。本書では次のように言っています。

ナチュラル・メソッドで耳から覚えた英語は、使わなければ砂漠の水のように消えてなくなる。帰国子女が日本に戻ると英語を忘れてしまうのと同じである。

※ナチュラル・メソッドは明治期に導入された「幼児の母語獲得と同様に、口と耳による音声言語の模倣・反復を重視する」方法。

英語教育論争史 p.164

英語を習得するのはいつやるか、ではなく質と量を追求した2200時間の学習時間を確保できるかのみです。

英語は我々日本人にとっては超困難な言語だからです。

1回5分から、聞き流しで英会話が学べるという触れ込みで一世を風靡した「スピードラーニング」が2021年9月に事業終了となったのは記憶に新しいですね。

出典:石川遼でおなじみ、英会話教材「スピードラーニング」が事業終了していた 理由は「諸般の事情」: J-CAST ニュース【全文表示】

そんな簡単じゃない、ということがこれではっきりとわかりました。

英語に興味を持つ、ということに関しては幼児期の英語教育、聞き流し教育については否定しません。

しかし歴史的に「母語並に使用できる」学習方法かと言われれば、

「明治期から既に否定されている」と答えが出ています。

我が家は私が英語を喋るため、子どもの英語教育については「まずは国語。英語は興味を持つ程度」と定め、特段英会話教室等には通わせませんでした。

今は塾の英語教科を一生懸命勉強しています。

英語を習得するには質と量を追求した2200時間の学習時間を確保できるかとお伝えしましたが、

英語を分解し、話す英語か、受験英語か、などターゲットを定めればより少ない時間でその分野をマスター出来ます。

英検1級持っているけど喋れない、というのはざらにあります。ターゲットが違うからです。

受験を突破するための英語は塾で教わるのが最適です。

英会話教室では学べません。

ここまで読んでくださった方ならご理解いただけると思います。

訳読か会話かという議論は既に明治・大正期で議論されている内容です。

はっきりターゲットを見定め、効率的にゴールを目指したいですね。

なぜ日本人は英語が出来ないのか、歴史的な観点から学ぶと戦略が立てやすくなります。

そういう意味でも本書はとても優れています。

かなりかいつまんで引用しているため、全部読みたい!という方は上部リンクからご購入いただけますと幸いです。

ここまでご覧いただきありがとうございました!

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